ご無沙汰していました

年末年始と福井に帰り いや〜 さまざまなことがありました。

東京に戻ってからは 一気に体調を崩し 先が見えない毎日を過ごし 

ここにきて ようやくやっと少しだけ フツーに暮らせそうな気がします。

本当に ご無沙汰でした。。。

今年お初ということで 遅ればせながらのご挨拶です。


『明けまして おめでとうございます。

 本年も楽しく、明るくお付き合い よろしくお願いいたします』


12月23日に福井に帰り 空き家だった我が家を掃除したり メンテナンスしたり

年末年始に帰省する娘夫婦の為に お布団の準備やら 料理の用意やら。。。

なにせ 調味料ひとつもない状態なので そういうものの買い出しだけでも

ひと仕事です。

例年以上に雪も多く寒さ厳しく エアコンだけでは無理です。 

石油を買いに行き ストーブの準備もしなくてはいけないし…

そんなこんなで数日が過ぎていきました。

その合間をぬって ご挨拶したい方にも顔を出したりして慌ただしい限りです^^;


そして27日 仕事納めをして主人が午後に東京から福井に戻ってきます。

主人が戻る前に 福井勤務の息子のマンションの掃除に行きました。

相変わらずの部屋で 水回りを中心に掃除をしていたら

母から電話です。

「お父さんがあまりにもつらそうだから 今から病院に行こうって言うのに

 午後からでいいって言って お母さんの言うことを聞かない。

 午後まで待つより今から行った方がいいから 今すぐ連れて行って!」

怒りと情けなさの入り混じった声で そう 言ってきました。


福井に帰ってから 毎日両親の家には顔をだし 

父の職場まで私が送り迎えをしていたので 父が風邪をひき

あまり体調が良くないことはわかっていました。

その日の朝も顔を出してから息子の所に行っていたので 早い方がいいという母の

言葉にも納得でき 息子と共にすぐに実家に駆けつけました。


父は 母が言っても行こうとしなかった病院でしたが 私がすぐに行こうというと

素直に応じ 息子に手を借りて 車に乗りました。

かかりつけの病院へは電話で診察を依頼しておいたので すぐに診てもらい

先生から言われた言葉は

「酸素レベルが落ちているし 肺も状態が良くないから すぐに日赤に行って

 入院治療するように手配するね」でした。


肺炎です! もともと 肺は弱い父です。 

「そっかー 入院かー」 

面倒なことになったなーと思いつつ 家で待つ母に電話で入院を伝えます。 

素直に母の言うことを聞かなかった父への怒りが勝っているのか 母は冷静に

「あらー そうー じゃあ日赤の診察券を取りに来てから 日赤に行って!」

とのこと。

つまり 母はこれからの入院手続きに立ち会う気持ちは無いようです。

年を重ねた夫婦って 寄り添い合って生きていくもんだと思っていた私でしたが

最近の両親は 歳を重ねるにしたがって どんどん思いやりのない 喧嘩腰の夫婦に

なっていっているような気がします。


実家によって診察券を受け取り父と息子と日赤に行き 救急外来で紹介状を渡して

診察を待ち 診察やレントゲンや点滴を受けて 入院できたのはもう夜でした。

母は入院準備をしてきましたが あまり長居はせずに帰りました。

途中から妹も加わり 9時過ぎまで病室にいましたが 落ち着いたようなので

帰ることにしました。 何が何だかわからない長い一日が終わったのです。


ここから10日間。  父は入院していました。

酸素レベルも上がり 状態も良くなり 退院して今は自宅療養です。


波乱に満ちた年末年始の始まりは 父の入院騒ぎからだったのでした^^;