細川ガラシャ
先日のNHK大河ドラマ「江」で細川ガラシャの死にざまが放映されました。
細川ガラシャ(たま)は明智光秀と妻・煕子の間に三女(四女説もある。ただし
この場合、長女と次女は養女であり、実質は次女となる)として越前国で生まれ
ました。その細川ガラシャは我が故郷福井が誕生の地だったのです。
数年前 私たち夫婦がまだ福井に暮らしていた時 福井市東大味町にある明智神社
にお参りに行ってきました。ガラシャの生誕の地だったことを知ったからです。
私が戦国時代の女性たちに興味を持ち始めてから 特に細川ガラシャという人に
興味がありました。波乱万丈の人生において自分というものを見失わなった
強さが好きでした。強いのに美しい人だという噂ですし^^
大阪に遊びに行った時 細川越中守忠興(ただおき)の邸跡 つまり
ガラシャが暮らしていた跡地を訪れてみました。
そこには越中井という 細川邸にあった井戸が残っていました。
この地でガラシャは38年(37年という書物もある)の生涯を終えたのです。
なぜここでガラシャは命を落としたかというと ものの説明によれば
関ヶ原の戦いで夫である忠興が徳川方についた事から石田三成は、忠興の戦意を
失わせるためガラシャを人質として大坂城内へ入城させようとした。しかし
ガラシャはこれを拒みこの屋敷にて自害したと言われています。
但しキリストの教えで自害は許されないことから 家老の小笠原秀清(少斎)に
槍で部屋の外から胸を貫かせて死んだとの記述があります。
キリスト教では自殺は大罪であり、天国へは行けないという教えが一般的なため
に このように伝わっているのです。
もう一つ 越中井のほんの近くに 大阪カテドラル聖マリア大聖堂があり ここは
細川邸内にあったものといわれている教会です。
そこにガラシャ夫人像があります。
この教会も礼拝してきました。
キリスト教とは無縁の浄土真宗の私ですが マリア様に十字を切り厳かな気持ちに
なりました。
そして最後にはガラシャ様のお墓参りに行きたいと思っています。
何と偶然にも娘の住んでいるところからさほど遠くない大阪の崇禅寺に祀られて
いることがわかりました。
近いうちに今度はお墓に手を合わせてきたいと思っています。
芯の強い女性にあこがれる私はまだまだ発展途上の未熟者ですね。